北越融雪のルーツ

■ 北越融雪のルーツ

当社が立地する新潟県十日町市は細長い新潟県の中でも長野県にほど近い、中越地方南部に位置しています。

新潟県中越地方南部に位置する十日町市。(Googlemaps)

毎年冬になると、西高東低の気圧配置によって中国大陸からの季節風が日本海上でたっぷりと湿気を含んで新潟県に吹き寄せます。この北西の風は、列島を東西に分断する山脈を乗り越えられないため、新潟県側には重く湿った雪が大量に降り積もるのです。

西高東低の気圧配置による日本列島を覆う筋状の雲。雲は中央の山脈に遮られて日本海側までで止まり、太平洋側には雲がないことが分かる。(Yahoo!ニュース、2020/2/2、饒村曜氏)

当社の創業者、樋口功が北越上下水道を創業して間もない頃、56(ゴーロク)豪雪と呼ばれる大雪が十日町市を襲いました。

大雪に見舞われた十日町市の住宅。(北越融雪 )

連日遅くまでの仕事を終えて家族が待つ我が家へ帰る頃にはあたりはもう真っ暗。屋根には身の丈ほどもある雪。夕食もそこそこにスノーダンプを担いで屋根に上がると、そのまま1時間半から2時間もの孤独な闘いを強いられるのでした。

木造住宅の雪下ろし風景。 豪雪地ならではの軒が大きく張り出した建物様式は船枻(せいがい)造りと呼ばれる。命綱こそ装着しているものの、緊張感が張り詰めた作業となる。 (北越融雪 )

あいにく樋口は小学生のころに患った病気のせいで左足が思うように曲がりません。毎日の雪下ろしが命の危険と隣合わせの危険作業であったことは想像に堅くありません。そこで樋口は考えました。

「このままではいけない。この地域には俺と同じように怖い思いをしながら雪下ろしに取り組んでいる人が沢山居るに違いない。よし、俺が配管の技術で何とかこれを解決してやろう。」ここに北越融雪の歴史が始まったのです。


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